東日本大震災からの復興に向け、被災地の医療従事者として果たすべき役割とは?ここでは、岩手における医療復興の実情をレポートします。

震災から1年を経ても、岩手の医療は…

2011年3月11日に発生した、あの大震災で被災した岩手の病院も、今では徐々に仮設診療所の形態ながら診療を再開してきています。
しかし、その道のりは険しく、そう簡単に元通りの規模での診察・治療が実現できているわけではありません。

高田病院その最たる例が3つの県立病院です。

2012年3月の時点、つまり震災から1年が経過した段階でも、高田病院・大槌病院・山田病院ともに到底震災前にはおよばない規模での運営を迫られていたのです。もともとは高田病院が136床、大槌病院が121床、山田病院が60床の病床数を有していましたが、このうち1年で病床を復活させ、入院設備を持つ“病院”としての体裁を復旧できていたのは高田病院だけ。しかも、その高田病院ですら2012年2月時点では、仮設病院に41床を設けることができたのみ。

残る大槌病院・山田病院は現在に至るまで病床0の状態が続いており、再建に向けた協議の中でも、むしろ病床数を震災前の水準から20%程度削減するという方針すら取り沙汰されているのが実情です。

しかし、暗い部分ばかり見ていても仕方ありません。次は、震災後の医療機関が少しずつでも復興しているんだという側面を見ていきましょう。

辛い状況だからこそ…復興にかける熱い思いも

前述した県立山田病院は、現在でもプレハブの仮設家屋に“岩手県立山田病院”という看板がかかっているだけの状況。
厳密に言えば、現状では病床数ゼロのため“病院”と呼ぶことすらできないのが実情ではあるのですが…。
しかし、そんな状況の中でも、いや、むしろそんな状況だからこそ、山田病院を支える医療スタッフの心には強い決意がみなぎっているようです。

岩手県立山田病院病院を紹介するHPの冒頭には、仮設のプレハブ病棟の写真と共に、一つの印象深い言葉が掲げられています。“Today is the first day of the rest of your life”という言葉が。

この警句をあえて意訳するならば、「あなたが無駄に過ごした今日と言う日は、死んでいった人達がどうしても生きたかった日々である」ということでしょうか。

あの時こうしていれば、もっと救えた命があったのではないか…二度とそんな思いをしないために、一日一日を無為に過ごすことなく研鑽に務める。そうした固い決意が伝わってきます。

実際、世帯数6605戸の町で3184棟の建物が全半壊し、死者行方不明者846人という被害を出したにもかかわらず、仮設診療所とはいえ診察を再開するところまで漕ぎ着けたというだけでも大きな前進だと思います。本当に聞いているだけで勇気づけられる復興への第一歩ですね。

ちなみに、東日本大震災で被災し、流失した県立山田病院・大槌病院・高田病院の仮設診療所に、JIRA(日本画像医療システム工業会)がCTスキャンを無償譲渡したというニュースもありました。同じ岩手の人間として有り難い限りです。

被災後の診療所

とはいえ、比較的支援を受けやすい県立病院でさえ復旧がままならない状況ですから、診療所がより深刻な苦境に陥ったのは言うまでもありません。壊滅的な被害を受けた気仙・釜石・宮古・久慈では震災の1年後になっても再開できない診療所が数多くあったのです。

しかし、こちらにも心温まるニュースはあります。国境なき医師団(MSF)が宮古市田老地区で開設していた仮設診療所があったのですが、この診療所そのものが寄贈されることになりました。『グリーンピア三陸みやこ』の2階で診療を開始し、内視鏡や超音波、心電図、X線といった検査機器も揃えているとか。こうした一つ一つの積み重ねが、岩手全域の医療機関の完全復旧に繋がっていくと信じています。

震災から1年後の診療所再開状況

それでは、特に被害の大きかった気仙・釜石・宮古・久慈エリアの診療所再開状況を見てみましょう。震災前の診療所数と、震災1年後の診療所数を見比べてみればよく分かります。比較材料として、岩手県の中では比較的被害が小さかった地域の状況も掲載しています。

地域 震災前 震災1年後
気仙エリア 22院 15院
釜石エリア 15院 11院
宮古エリア 16院 13院
久慈エリア 1院 1院
盛岡エリア 11院 11院
中部エリア 4院 4院
両磐エリア 54院 52院

比較対象として掲載した盛岡・中部・両磐に比べ、被害が深刻だったエリアの診療再開が大きく遅れていることがよく分かります。
このように震災から1年を経ても診療再開できない診療所が多くあったことで、岩手県内の1次医療は壊滅的な打撃を被ったわけです。

人材不足が岩手の医療復興を遅らせる…

岩手県の医療機関がすぐに復興できなかった原因の1つは医師・看護師の不足です。いくら建物を元通りにしたところで、人材が確保できなければ震災前と同じレベルの医療は提供できません。

実際、休廃止となった岩手県の医療機関が再開できない理由をまとめたデータでは、人材不足を挙げているケースが多くあります。理由の29%を占めたのは“医師・歯科医師などの死亡”ですし、“他院へ勤務することになった”という例も18%にのぼります。これだけで休廃止理由の47%と、ほぼ半分を占めていることになるわけです。

また、看護師だけの数字を見ても、震災で19名が亡くなり、被災の影響で少なくとも203人が休職に追い込まれたという報道もあります。

県立病院で1年後も病床を復活できなかった大槌病院と山田病院では、いずれも常勤医師が3名にまで減少しました。医師3名というのは、病院を名乗るために必要な最低人数。これでは外来患者を受け入れるだけで精一杯なはずです。病床を再興して入院患者を受け入れるには当直医が必要になりますから、3名で回るはずがないのは言うまでもないでしょう。

岩手県の医療を震災前と同じレベルに引き上げるためには、何よりも人材確保が先決なのです。

震災によって病床の需要自体が上がっている

大津波によって岩手県沿岸部の病床数が激減しました。まずは、震災によってどれくらいの病床が減ってしまったのかを知っておきましょう。
以下に、震災前後の岩手県沿岸部の病床数をまとめてみましたので、まずはこちらをご覧下さい。

地域 被災前 被災後 増減
気仙医療圏 791床 744床 -47床
釜石医療圏 1019床 945床 -74床
宮古医療圏 1468床 1378床 -98床
久慈医療圏 757床 757床 0床

震災前の水準を取り戻すだけでも、沿岸部合計で211床の増床が必要な状態。しかも、震災の精神的ストレスから慢性疾患を悪化させてしまった方も数多くいらっしゃいますし、その家族も在宅患者を介護する余裕をなくしていますから、可能ならそれ以上の病床が必要な状況です。

介護力が落ちてしまったにも関わらず、病床が減ってしまっているというのは、まさに深刻な状況というしかありません。

もちろん、この状況を打開するために在宅医療で補おうという動きも出ており、お隣り宮城県では気仙沼巡回療養支援隊が組織されていますし、岩手でも高田病院が在宅診療の回数を週1回から5回に増やして対応しています。ただ、医師不足によって往診するスタッフが足りず、病床の代わりを充分に果たしているとは言えないのが現状。

震災後の岩手の医療を立て直すものまた、病床を順調に復活させていくためには看護師の人数だって重要です。看護師の配置基準を満たせなければ適切なケアを行うことは困難ですから、病院側としても慎重にならざるを得ません。また、被災地から人が流出して人口減少しているため、患者数の減少によって病院経営が厳しくなっているのも事実。

実際、沿岸部の医療圏では患者の流出が続いています。例えば気仙医療圏では震災前に比べて患者数が32.9%減少、宮古医療圏では17.1%減少しており、今後の病院運営に暗い影を落としているのです。

安定した病院運営を続けるためには、看護師配置基準7:1を満たして充分な診療報酬を得ることも重要ですから、多くの潜在看護師、周辺エリアの看護師が岩手県内で就職することは非常に有益です。診療報酬を引き上げて病院運営が安定化すれば、減ってしまった病床を再び復活させ、さらに必要に応じて増床することもできるでしょう。そうなれば、流出してしまった患者さんが戻ってきて、区域内で医療を完結させることができるようになります。

医療復興が成された暁には、患者さんやその家族が被災地に戻ってきて、また岩手沿岸部がかつての賑わいを取り戻すことも夢ではありません。つまり、看護師や医師が増えることは、震災前の笑顔あふれる故郷を取り戻すことにも繋がっているのです。